2009年1月6日

派遣村

『派遣村』の事が連日、ニュースで流れている。

書く言う私も派遣社員である。今は『ひかりTVカスタマーセンター』と言う部署でサンシャイン60と言う戦後日本の闇(サンシャイン60は元々は巣鴨プリズンで、ようは処刑場である)の場所で働いている。ちなみに今月一杯で契約終了。




私が『派遣社員』と言うモノに従事した頃。『派遣社員』と言うのは一寸したものだった。私が『派遣社員』なんぞになれたのは口八丁手八丁と履歴書改ざんの賜物である。

他の派遣社員達は其れなりに『出来る』人が多かった。

何時の間にか三下以下の業務形態になってしまったが。




この『派遣村』に関しての周りの(ブログも含む)意見を読むと反吐が出る。大抵が「自己責任」と言うか、「派遣社員でノウノウとしていた罰だ」みたいな。
その文章のニュアンスを冷静に考えてみると、なんと言うか

「見せしめ」
「隔離されるべき存在」

と言う感じがしないでもない。ミッシェル・フーコーの『狂気の歴史』を読むとナポレオン登場まで(中世)「狂人」と言うのは「隔離されるべき存在」ではなく、「信仰を怠った為の見せしめ」と言う扱いだったらしい。
そう言う意味では共同体の一員として迎えられていた。

『狂人』と言うカテゴリーが出来てから『狂人』と言うのは『隔離されるべき存在』とされ、そして『治療の対象』となる。




日本人が信仰している宗教は何か?すわ


正社員
死ぬまで働く
髪の毛が抜けるほど働く


である。この「正社員」は共産主義国の『共産党員』とか、宗教国家の『信者』、またはテロリスト国家で言う処の『戦闘員』とかに近いだろう。近いと言うよりは同じだ。


「正社員非ずは人に非ず」


と言う雰囲気が漂う。特に「派遣村」に行く人達を眺めている人達の視線は、圧倒的な『差別』と『区別』と『蔑み』。




『派遣村』の人々がどうやって其処に辿り着いたのか判らない。まだ調べていない。只、困っている事は判る。誰だってそうだと思うが、冬の夜を野外で過したいとは思わないだろう。
『派遣村』にしても、まるで災害地区の避難所だ。だが東京都に災害はまだ起こっていない。

ニュースで見る写真は本当に



異様



な有様である。とあるブログには「農家などに行かせて自給自足の生活をやらせたら良い」と言った事もあった(多くあった)。
農業を舐めているとしか思えない。そう思う人こそ農家へ行って自給自足の生活、と言うのを体験してみれば良い。
ズブの素人が農家へやってきて、何かした所で邪魔なだけである。
同じニュアンスで

地方の工事現場の『たこ部屋』に連れて行って働かせれば良い、と言うのと同じニュアンスだ。馬鹿の癖して良識派ぶるな、と言いたい。




何故、派遣社員か?『派遣』しか選択肢がなかったからだ。
何故、派遣しか選択肢がないか?派遣以外の選択肢を社会が与えなかったからだ。
何故、社会は派遣以外の選択肢を与えなかったか?そっちの方が便利だからだ。

私が言うのも何だが正社員になった事は実は多々、ある。正社員をクビにするのは中々、大変で。バブル崩壊時のリストラの際。人事担当者の自殺率や、リストラされた人達の自殺率を思い出せば良い。

只、『派遣』の場合であれば電話一本で済む。しかも本人ではなく『派遣会社』へ電話すれば良いだけなので精神的にも楽だろう。


大体、企業としては派遣社員を3年間、同じ仕事に従事すれば正社員にしなくてはならないのである。其処がまず守られていない。
労働力の使い捨ては古今東西、行われている。

『土方』が良い例だ。そして『土方』の人達がホームレスになっている。



若い人達がホームレスになっている



それがどれだけ異常な事か誰も判っていない。と言うよりは皆、必死になって、その異常さを判ろうとしない。その『必死な無知』はまるで『魔女狩り』のようだ。多くの人達は布団の中に包まって震え上がっている。

「明日は我が身」と思わないように必死に無知を守り通す。



大昔。日本が『大日本帝国』だった頃。
アホの石原慎太郎が言う処の『三国人』を日本人は徹底的に差別した。関東大震災の頃にリンチと殺害。全てに置いて「劣等」と言う事にしていた。

だが、当時も殆どの人達は気がついていたはずである。在日の人の発言の意味を。

「朝鮮人も日本人も冷や飯食って、温い糞が出る!朝鮮、朝鮮、馬鹿にするな!」

我々と同じである。だが「我々とは違う」と言う無根拠さを誰も説明出来なかったはずだ。だが内心、判っていたはずだ。




日本国憲法に書かれている。

「全ての人達が健康で文化的な生活を送れる事を保証する」

と。誰かが戯れに言ったワケではなく『憲法』に明記されている事なのである。



精神科・心療内科は待ち時間が2時間オーバー
老人達は孤独死
若者達は仕事が無くネットカフェや野宿
J-POPは糞以下


そもそも「文化的な生活」を送っている奴が日本に何人いるんだ?誰も彼もが糞みたいな電化製品に囲まれて、IPODで糞みたいな音を聴いて悦に浸り、キャバクラとホストクラブでで一山幾らの輩に酒を奢り、豚のション便のような酒を呑み、マヌケな格好をし、生ゴミのようなチンポを咥え、吐き気のするような悪臭のマンコを舐めまわし、最終的には『生ゴミ』と呼ばれ。「眠れない」と睡眠薬を飲明かす。そして他国の貧民が作った音楽を「やっぱり貧困から生まれたパワーって凄いよね~」と自国の貧民から目を逸らす。年末には24時間テレビだ。


ネットカフェ難民、『派遣村民』の連中と何が違うんだ?
家があると言うだけで一端の『文化人』『社会人』なのか?



 そ ん な モ ン は 文 化 的 で も 社 会 的 で も な ん で も な い ! 



上を向いても破滅。下を向いても破滅。

蔑み、憎み合うならばサルでも出来る。我々に出来る事はお互いを『大切』する事だけではないのか?

困っている奴がいれば助けるのが普通だ。普通と言うか当たり前だ。
「良い行い」ですらない。
ウンコをしたらケツを紙で拭く、程度の事だ。

どうして、それが出来ないんだ?小学校で習わなかったのか?今すぐに『同窓会名簿』を開いて小学校の担任の先生宅へ電話して聞いてみろ!小学校からやり直せ!



「自分も大変、辛い仕事をしているのに彼等はそうではない」

と言うニュアンスも多い。自分と同じ位、大変な仕事をしろと言うのか?もっと辛い仕事をしろと言うのか?



数年前だが知人がホームレスになった。そして今年になって『麻薬の売人』になった。


そうなれ、と言うのだろうか?

戸籍を売って
空き缶拾って
薬物の販売




溺れている奴がいる。「自分は泳ぎを習う時に苦労したから、君も苦労して溺れながら泳ぎ方を学びなさい」と言うのだろうか?と言うか言っているようなもんじゃないか。そして溺れ死んだら「自業自得」「自己責任」と言うのだろう。自分が溺れた時も「自己責任」の一言で片付けられる事が恐ろしくて敢えて『自己責任』と言う。





一体、何時の頃か知らないが、明らかに『世論』と言うのが恐ろしく『不気味』になっている。


自分とは違う人達が死ぬ事を喜ぶ、と言うか。排除の論理が強固と言うか。その『排除の論理』を語る人達はサラリーマンだけではなく、本来であれば、それに対して「NON!」と言うべきミュージシャンも絵描きも同じだ。


石原慎太郎と言う狂人がいる。本来は都庁で働くのではなく精神病院の閉鎖病棟で一生涯を終えるべき人が何故か都知事になっている。



彼の政策の根本は『排除の論理』だ。

●カラス
●ホームレス
●派遣
●ニート

そして彼の政策と都民の希望が上手く合致している。「カラスが減った」のは石原のお陰ではなく単に『都内の鳥の分布図が変わった』だけである。変わりに鳩が増えた事に気がついている人がいるのか?

ホームレスに対しては何かをしたワケではない。ホームレスの数は増えつづけているし、大きな公園のテントは健在だ。彼等に仕事を与えた、とか何かしたワケではない。単に「排除した」だけだ。

『派遣』も何れは排除されるだろう。

そして、それが済めば誰も彼もが『排除』の対象となるだろう。



魔女狩り
赤狩り
ユダヤ人収容所


のように。そして収容所には掲げられるだろう。


「 働 け ば 自 由 に な る 」
byアウシュビッツ収容所のスローガン




私が知る限り最近の『排除の論理』に対して『NON』を叩きつけているのは音楽でも、絵画でも、映画でも、文学でも、クラブでも、ライブハウスでも、何かの企画でもなく『演劇』だけである。

『演劇』如きだけが冷静さを保っていながら、他のジャンルの馬鹿っぷりにはウンザリする。本来、音楽でも、絵画でも、映画でも、文学でも全てに対して「NON」を伝えるべくして始めたのではなかったのか?世論と同じ事を言いたければミュージシャンも文学も絵画も映画も止めて、田舎で豚と、豚そっくりな女房の世話でもやってろ!と思う。

NONと言わない奴の何を信用すれば良いのだ?
糞ッ喰らえだ!。

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